がんばれない

がんばる日記。

日常の常

眠れないので少し書く。

そういえば、東京の梅雨入りのニュースを見逃した。きがする。
でも、なんとなく雨が多いことから梅雨なんだろうなと催促はできて
これが明けると夏が来るはず。
また今年も40度近く気温が上がったりするのだろうか。

天気予報には毎日雲と雷のマークがどこかしらにはついていて
ゲリラ豪雨だとかそういえば毎年そんな感じのニュースが多い時期だったなとか思い出す。
台風も、来るのかな。それはもう少し先か?

低気圧による体調不良があるという話は最近よく聞く話なのだけれど、意識したことがないからよくわからないし
意識してみたところでなにが変わるわけでもなくて。
みんなそんな知識をどこで手に入れるんだろうということばかりが気になってしまうのは何故なのか。

普通に生きていれば身につく知識だとかが足りないと思っていたのだけれど、最近はわたしが普通に生きてるだけでは知識は身につかないというのも少しずつわかってきていて
能動的に行動を起こさなければいけないということに気づくにはちょっと年齢的に遅いのでは?などと考えてしまうのだけれど、その話にはそんなことを考えている暇があるなら行動を起こせよという、そのひとつの終着点しかない。

仕事中に人の出産のお話を読んで、めちゃくちゃ泣いてしまった。何故涙が出たのかはわからない。
私は一体なにをしているのだろうという気分になったのは事実。それでもなにも変わることはないのだけれど。

歳を取ることに対して、また少し重さを感じてしまった。
この年齢にしては色々な経験が足りなすぎると。
人との関わりも、やっぱり本当は欲しい。
すこし前、多分2年くらい前まではずっと友達が欲しいとかいっていた気がするけど、何故諦めたのかはもう忘れてしまったな。
まあ、状況をみるにただただ無理なだけなのだろうけれど。

オンライン会議でお前の声だけ聞こえずらいと指摘された。新しいマイクを買わなければなるまい。
メールを確認しそびれて、gitの招待メールの期限が過ぎていたのを放置している。これもはやく連絡せねば。
仕事はやらなきゃいけないことばかりで憂鬱だ。
でもこれがなけりゃなにもしない、本当になにもなくなってしまう気もする。

今の心理状況で人の肉声を聞くと涙が出そうだ。実際はそんなことはないのだろうけれど。
最近は全てが機械越しになってよかった。よかったのだが、若干人恋しさはあって。

一人暮らしを始めてからテレビを見る機会もなくなってしまって
1週間ほど前、久々に電車に乗って電車内の広告画面を見だ時はすこし感動した。なんの感動だったのかはわからない。

私自身、なにも変わっていないと思っているのだけれど、何かしら変化しているのだろうか。
人間、不変はないのだと
それはつまり衰退と同意であるといっている人がいたな、と思い出す。
何かが変わっているのだとしたら、それが衰えでなければいいなと思う。願望。衰え以外の要因は見つからないけれど。

最近、とにかく1日が終わるのが早い。焦っているつもりはない。
ゆっくり生きていく覚悟が少しずつできてきている気がする。不安はまだまだたくさんあるけれど、これが歳を取るということならば悪くないかなとも思えてきている。
もう30歳という考え方もまだ30歳という考え方もどちらもわかってきているような気がする今日この頃。
ただ、この余裕を体に染み込ませるにはあと30年はかかるのではないだろうか。
心に余裕ができたとき、他人を受け入れられるようになるみたいな話は聞くけれどとてもできるようになる気がしない。
そんなこと待つよりはやく死ねればいいのにと考えることもある。

何を書いているかわからなくなってきたのでここで終わりにしておこう。
何も、すっきりもしなかった。悲しい。

以上。