がんばれない

がんばる日記。

なにが楽しくて

んん〜
会社のトイレに入ってる時に
あ、こういう内容で書こうって思い浮かぶのだけれども
立った瞬間そんなこと考えていたことさえも忘れてしまうなということを思い出した。

それであんまり更新がない。
これは、言い訳ではない。

なにが楽しくてこんなものを続けているのか
わからん。わかるはずがない。
別に楽しくない。

数個まえの記事のタイトルに27歳がどうってのがついてて
わたしは来年の1月に30歳になる予定だったけど
実は28歳になるのかもしれないと現実から目を逸らしてみたり。
そんなことに意味などない。

別に30歳だからって特別なことはないのだろうけど
20歳になる時にも思った、〜歳ってもっと大人だと思ってたっていう考えが血が流れるようにさらさらと脳を横切っていったりして
でもわたしの血はドロドロなのでネチョネチョとへばりついたりもして

そんなところで学習能力のない、成長しない、ダメな奴だなんてまた思ったりして。

最近前ほど死にたいと思うことは無くなった気もしなくもないけれど
生きていても仕方のない人間だなっていうのを酷く感じる。
しかし、わたしの悩みはどんなものでも大抵時間が解決してくれることを知った・気づいたのが20代。
特にどうだろうか最後の半年なんて怒涛の成長ラッシュじゃないか?一人暮らしを始めたのは大きかった。
金銭的には間違いではなかったとはまだいえないけれど。

まだまだ少ない経験値だけど、それらを無駄にせず賢く生きられる30代を目指したいと漠然と考えたりして…
なんてそんなこといっていたら光のような速さで10年なんてすぎていくのだろうか。

年上の人からよくきくよね、年々1年が早く感じるようになってくるってさ。そして怖いよね、年々その感覚がわかるようになってくるんだから。

でも、きっとこの先もずっと好きなこととか趣味とかは出来ずに過ごしていくんだろうなと思いながら
もうそれでも生きちゃっているので仕方がないって思えるようになってきているのが1番の成長かもしれない。
30になったらツイッターで愚痴るのをやめたい。
そのくらいかな、目標は。

残り約1ヶ月半の20代最後の人生、この期間で人生が終われれば一番の幸せなのだけど
なんだかんだでまだまだ生きてしまいそうなので仕方なく生きますよ。はいはい。

予想していたよりはよい、そんなかんじ

一人暮らしを初めて1ヶ月が経とうとしている。気がする。
わたしの記憶機能はヘナちょこなので、あまりあてにはならないけれどおそらくその認識で合っている。

家電は何が必要かとか
どんな風に家具を置くだとか
始めは色々考えていたけれど、考えていたモノの半分以上は購入していないし買わなくてよかったと思っている。

住めば都とはいうけれど、住み心地はよくはない。
キッチンは狭いしなんかいたるところが臭くて寝る前に気なるとどうしても寝られないとか
そういう所が多々大々にある。

それに何より帰りたくなる。
実家に帰りたい。早く帰りたい。帰りたくて仕方ない。仕方なく帰りたい。そんな日がある。
そんな今も帰りたい。

でもちゃんと洗濯はしてるし、掃除もしてるし、ゴミ出しだって、炊事だってしている。
ちゃんとかどうかは置いておいて、その日に必要なことは毎日できている。

嘘。寝坊はするし会社に遅刻もする。

仕方がない。じゃあ済まないのだろうけど、仕方がない。
今まで一人で起きるということをやってこなかった代償だ。できないであろう予想はできていた。なんとなくできるだろうなという気持ちもなくはなかったが、これで会社から信用を無くされても何も文句は言えないとそういう覚悟を持ってはじめた一人暮らしでもあるので
仕方がない。

仕方がないことはおいておいて、まあ毎日頑張ってはいる。あくまで個人的な評価。絶対評価で。

2ヶ月目もぼちぼち頑張る。

ついでに、最近の気づきもメモ。

聞いてはいたけれど、自分で作った手料理は割とどんなものでも食べられる。
これは本当にすごい。すごいと思う。

ゴミの分別は大変なのでお菓子の個別包装はほんとどうにかしてほしい。お菓子を買わなくなった。本当は食べたい。

家計簿は手書きが良さげ。職業柄、あまり大きな声では言いたくはないが。100均で買ったやつでなぜか続けられている。ただ、もっとこうしたいというのが出てきているので、なんとか気持ちよく続けられる方法を考えている。

電子レンジは今のところ必要性を感じない。自炊が面倒くさくなったとき、必要になってくるんだろうなという心の準備はしておく。

お鍋で炊いたお米は美味しい。美味しいので幸せ。

髪の毛がよく落ちる。これも聞いてはいたけれど、ここまで部屋に髪の毛が落ちるものかとびっくりする。

自前の袋を持っていけば、割と100均とかでもその袋に詰めてくれる。ありがたい。感謝。エコとかそういう意識というより、単純に家に袋がたくさん溜まっていくのとかが嫌なので続けたい。

なんか家の中で靴下が脱げない。匂いが床からするのが気になってるのもあるのだけれど、本当になんとかしたい。潔癖症ではないはず…。

こんなかんじ。

以上

誰も想像しなかったわたしの未来

2019年も半分が過ぎた。
30歳になるまであと半年だ。
そんな中、一人暮らしが始まろうとしている。

コソコソと水面下で動いていたようないなかったよなうな。
突発的に決めてしまったようなそうでもないような。

ずっとしたいとかやらなきゃダメだとおもうだとか
なんとなく軽く口にはしていたのだけど
絶対ないだろうなって思っていた。

だってしなくても困らない環境におかれているのだから。

子離れができない親の元、ぐうたらと生きていくのは楽だろう。
30歳になる親離れのできないクソババアは、
それがどれだけ楽なことなのかも知らずに生きていくのだろうな、なんて思っていた。

面倒臭いのは嫌いですし。

きっかけというのは特にない
いつもの通りしなきゃいけないんだろうなあなんて
そんな話をしていただけ。
それなのにあれよあれよという間に決まってしまった。

どこか他人事のように思っているのが危険だ。
大人という自覚がないのは自負している。
しかしわたしのこの胸のざわざわは、
ただの不安であって危機感ではなんだろうな。

難しいのだけど、なんとなくその2つには違いがあって
持たなくてはいけないのは危機感なんだろうな
と思っている。
思いだけが一丁前に先行して
なにも自覚はできていないのが酷いところなのだけど。

わたしはこんなことを考えるだけで頭が痛くなるのに
他の人はもっといろんなことを考えて生きていて
さらに行動まで起こせているんだなと考えると
正気か?って思ってしまう。
しかも思考のレベルが違うんだろうな、なんて
漠然と人との壁?世界の違い?を思い浮かべる毎日。

考えることが悪いことではないとは思っているけれど
(じぶんを否定したくないだけなのかもしれないけど)
いかんせん、わたしの少なすぎる経験値から生み出される思考回路は
恐ろしく単調でくだらなくて幼稚で恥ずかしくて
そのほとんどが無駄に終わってるんだよな。

つまり、わたしにとって考えることは無駄だってことが
30年生きてきてようやくわかった。ってところで、
やっぱり次にやるべきは行動することなんだよね。

できなければ戻れるくらいの距離って
めっちゃいい環境じゃないですか。
せっかくあるのだから使わなければ。
こんなに身近にあった、宝の持ち腐れ。(なんかちょっとちがうかも)

なので、とりあえずやってみるんですよ。
一人暮らし。
できなかったら諦めるしかないじゃないですか。
頑張ってもできないことってあるんですよ。
でも、やっぱりやらなきゃわからないんですよ、きっと。
案外できないことの中でできることがちらっと見えてきたら
おおおっ?って。なんだわたしこんなことできたんじゃんて
それがわかったら凄い事じゃん。

わたしは本当になんにもできないのだけど、
やったことが無い=できないって決めつけてるところも
多分、あるんですよね。多分。。
多分あったらいいなぁって思うんですよね。

案外できることがあったってなったらいいなって
そういうのを調べるための2年間。
頑張れるかなぁ?

令和というらしい

元号

正直生活はなにも変わらない。
10連休は短すぎた。
働きたくなってしまうほどやすんでみたい。
そうは思わんかね?

ただ、いつになく色々できた連休だった。
なにをしたかは忘れた。
とりあえず、歩いた。と思う。

そして太った。

令和元年の間には体重が59キロくらいになれるといい。。
いいなぁ。

眠れない夜、誰のせいなのか?

誰のせいでもない。
でも、悶々と考えてしまうのは仕事のこと。
大切な時間を仕事に費やしているようで悔しい気持ちになる。
原因はツイッターで人の話を聞こう(要約しすぎ)的なお話を読んだ事にあるような、ないような。
いや、その前からねられなかったんだけど。

仕事について考えているといっても別に転職したいとかそんな格好の良い事ではなく
ただただ働きたくないということ。

働きたくない原因は、大したことじゃない。
わたしは無能なのだ。そう、無能なのだ。

どうしても期限以内に自分の作業が終わらせることができない。クズなのだ。
こんなんでお給料を貰っている。とんでもない悪党である。
残業をしてしまうのは残業代も出ないしいいかという気持ちがないわけではない。
でも、残業をいくらしたって作業は遅れているのだ。
クソ野郎である。
他人がいくらそういう状態に陥っていようがわたしには関係のないことなので、ほんと関係はない。つもり。
ただただわたしがクズであるのがどうしても許せない。
そんなクズな自分にクズだと思われてることも許せない。
もう、イミワカンナイ。
自分が嫌いとかそんな幼稚なこと言っていられる年齢でもないのだが
なんと表現すればいいのかわからない幼稚な脳。
ほんといい加減にしてほしい。

1年前までこれでもなんとか仕事をやってこられた。
のうのうと。
だって、後輩がいなかったのだもの。。
基本的に他人がどうであろうが気にしないのだけれど
後輩に関してはなかなかそうも行かなかった。
このことをかくと陰口を言っているようで、罪悪感というのものが出てくるような気がしたので簡単に書くが
つまるところなかなか手のかかる人間だったのだ。
[てのかかる]この日本語があっているかどうかはわからない。
でも、今まで人と関わってきて遭遇したことのないような、トンデモ現象が起こるのが日常茶飯事なのだ。
非常に疲れる。

上に書いてあるツイッターでみた記事を読んだ時にふと
そうかあの新人は人の話を聞いていないのだな
と思ったら、少し納得した。
それに加えて、あの新人は良くも悪くも現代っ子なのだな
、と思ったのだ。

4月になり2年目のあの人はもう新人とは呼べなくなっているわけだけど
4月に入っても状況が1年前とほぼ変わっていないと思ってしまうのは
わたしがババアになったのか、あの人が成長していないのか、はたまたその両方なのか…それは定かではない。
むしろ成長を期待してしまっているわたしが間違っているのではないかとも思えてくる。
教育だなんてそんな大層なもんできるほど、私自身に経験や知識があるわけではないのはわかっているつもりだし
あの人間をどうこうしたいわけではない。

ただ、今年も生産性がほぼ0の状態で始まっている。(実作業が割振れていない)
このままこの状態が続くとあの人がお給料をもらっている事に対して疑問を感じざるを得なくなるのだ。
きっと、会社としてのやり方も教える立場の人間にも問題はあるのだろう。
それでも丁寧に丁寧に教えているつもりではある。

わたしの上司なんかは説明用に資料を作って渡していたりするのだがその資料を読んでくれてなかったり無くしてしまったりするわけで…なんて愚痴を言いだすとキリがない。
でもあの人だけを責めるのだけは違うのだと自分に言い聞かせながら仕事をしていると
これまで感じたことのないストレスが溜まったりするのだ。
困った、頭を抱えた、絶望を感じた時に目眩が起きるという状況は本当に存在するのだということが実感できて
今結構貴重な経験をしているなとは思うのだけれども。

そうやって悶々と考えているとやっぱ働きたくねえなって。本当にこれに尽きるのである。

以上。

精神不安 定

日頃から何かに不安を抱いているのは確かなんだけど、
今が一番つらい。
つらいと言っていられるうちは大したアレではないのかも知れないけれども。

休暇を取りすぎると、仕事に行きたくなくなる。
一度サボるとサボり癖が付く様に。

この前免許取るために休暇を2日も取ったのが原因
…なのかは自分でもわからないけれど
仕事に行きたくない気持ちが強すぎる。

一度休むともっと休みたくなってしまう。
根がぐうたらな人間なので、すぐにそうなってしまう。

仕事がなくなるともうそのあと一生働くことはできないのではないかという不安のせいで
仕事はやめられない。
他にやりたいこともない。
続けてるんだから誰にも文句を言われたくない。

働き方改革?有給取得義務化?
この症状が悪化する未来しか見えない。

もうただただ働きたくない。
働きたくないでござる。