ふとした瞬間、不思議におもう
読んでもらうための文章が書けないな、と。
それより、読まれる前提で文章を書いていないと言う方が正しいのかもしれない。
頭でいろいろ考えてしまうからそれを整理するためにも
携帯を買った高校生のときから定期的にブログはどこかしらで書いてはきているのだけれど
脳の中身はなにも進化していないし、為になる情報を発信
できるような経験も知識もあるわけではないし、そういうことをしたいと思っているわけでもないし。
初めの最初は、流行ってたし誰かとコミュニケーションが取れたりすると面白いかなとか考えもあったかもしれないが。
考えていることをきれいにまとめれているとは思えないし
そんな文を読んだところで何かが伝わるわけがないし
そもそも読まれないし。
考えはコロコロ変わるし
有言実行できないし
そもそも不言だし。
なにが好きでブログを書いてるのかって考えるとわからないんだよな。
しかし、高校1年の夏頃携帯を買った記憶があるから、おそらく15年くらいずっと心の端っこにブログという存在があるのか…
これまでのブログをやめた理由は
サービスが終了したり、言葉遣いが気持ち悪いなと感じたり、なんとなく必要ないなと感じたり、そもそもどこでやっていたのかを忘れているものもあるかもしれない。
Twitterで呟く理由もほぼ同じな気がするが、イマイチなぜかというところはピンとこない。
使い分けの仕方さえもよくわかっていない。
年1で書くかわからんようなここもよく続いてるなって今更思った。
なぜブログを作ってしまうのか
ほんとうにわからない。
以上。
やっぱり
前記事で書こうとしたスラムダンク感想を少しだけまとめることにした。
グダグタいうのが好きなので前置きが長くなってしまうのをグッと堪えて、いきます。
いちばん書きやすいかなと思った、3キャラクターについてだけ。
ー
まずは主人公、桜木花道くん。
物語全体を通して、バスケ初心者の彼の成長?が書かれてると思うんですけどその成長?っぷりがすごい。
最初の大好きですのセリフから最後の方の大好きですのセリフまで、成長というか彼がバスケにハマっていく様にドキドキされっぱなしで。ちょっぴり子供っぽい振る舞いも、バスケに真剣に取り組む姿もすべてが本当に愛おしくって。
桜木軍団や晴子ちゃんが彼の成長ぶりをすこし口にするたび一緒に何かこみ上げてくるというか、読んでて胸がギュッとなる。
最後の方の大好きですの後からも彼はノンストップで進化していくのでそこもワクワクドキドキがとまらない。堪らない。
おだてられるのがうまいとか、仲間意識が強いとか、基本的な彼の性格はずっと変わらなくて、でも読んでいるとバスケに対する気持ちの変化みたいなものがしっかり・ジワジワと感じられるのは、この漫画自体の魅力のひとつなのではなかろうか?
出てくるキャラみんながライバルになるところが面白いし楽しい。
作品全体で、たったの4か月程度しか時間はすすまないし(だからという訳でもないと思うが)最初から最後までバスケ選手としてはシロート?なのかもしれないけれども、そのシロートなりの経験のなさから自分のやり方でいろいろな困難を乗り越えていく様を見ていると、子供の成長を見守る親ってこんな感じなのかしらって思わされたり、応援もしたくなる。
失敗もたくさんするけれど、それを次につなげる力というものをガンガンに見せつけてくるし、最後にはシロートであることも武器にしてしまうというような強さも持っていて、それがちょっぴり憎い。
もうずっと、ずーっと成長の過程を見ていたいと思わせるところはこれぞ主人公という感じ。本当に魅力的で、素敵なキャラクター。大好き。
なんか彼がひたすらシュートしてる姿をみるだけのアプリも買いました。癒し。
次に書きやすいところというと、流川楓くん。
あらためて名前を打ってみておもうけど、名前可愛いね。
わたし自身バスケについては無知だし、彼の中の勝ち負けとかは正直よくわかっていないけれど
おそらく高校バスケが始まって4か月程度の物語の中で彼は彼自身の納得のいく勝ちを手にしてないのだろうな、と。
彼は常にクールに燃えている。
この作品に出てくるキャラクターの中で一番の負けず嫌いじゃなかろうか。
無口なところからクールな印象がある彼の性格の奧に確かに存在する熱さの源、絶対負けるもんかという意志。これがとてもアツい。
スポーツの世界って全然わからないけれど、きっとこういう人しか生き残れないじゃないんだろうかと思わされる。
作中で天上天下唯我独尊男とか言われてもいるが、ちゃんと人のアドバイスを受け入れるところとか柔らかいところもあったりして…?
努力も惜しまない健気さがあるところも魅力的で
見れば見るほどにめちゃくちゃにかっこいい。
次は、仙道彰くん。
改めて振り返ると学校単位で見れば試合も負けは多いし、飛び抜けた活躍シーンというのはない気がするけれど、存在感の強い彼はこの作品の中でわたしのいちばん好きなキャラクター。
多くのことは描かれていなくて結構謎な部分は多い気がする。
ただ読み返していると、チームメイトが仙道ならなんとかしてくれると思っている時、わたしもまた彼ならなんとかしてくれると思ってしまっている。
常に落ち着いて冷静に振る舞えるところが大人だなぁと、結構オラオラしているキャラクターが多いせいで特にずば抜けてそういうところが見えてしまうというのもあるかもしれないが
そういう冷静さが監督やチームメイトにも信頼される所以だろうし。
きっとできないことは口にしないし、逆にいうと口にしたことはこなしてしまう技術があるし
彼の一言一言にはとてもドキドキさせられる。
湘北のメンバーがみんなガムシャラでかっこいいのはほんとそう。それはそれでとてもかっこいいのだけれど、それとは違うかっこよさを持っている。とてもよい。ありがとう。
ー
読書感想文であらすじしか書けない人間がかく感想なんてこんなもの。
とりあえず面白くて、買ってから毎日どこかしらのページを開いては読んでいる。
(のにこの程度しか書けないのはとても悲しい現実だ)
きっと飽きるまでは読み続けるでしょう。面白いので。
以上。
始まりの
んー。最近どうなのよ?
実家帰りたくてたまらん。
いろいろ環境が変わっていくが、それについていけない。
ついていけないとどうなるのかわからないのだけれど
きっと、どうにもならないんだろうな。
ついていくしかない。
流されるのもまたそれの変形。
はっきりとした違いは今のわたしには判別できない。
よくわからないけれどおそらく今の生活は悪いほうに傾いている気がして、ソワソワしてしまう。
仕事ができない。
自発的に行動ができない人間が、特に監視のない自宅で仕事をするとどうなるのか
仕事ができなくなるのである。
やらねばならないことも、やっておいた方がいいことも、なにも頭に入ってこない。
そもそも活字を読んでいられない。
頭の中は真っ赤っか、アラートが鳴り響く。
危険である。
向き不向きで片付けられる問題ではない。なんとかしなければいけない。今はその形でしか働くことを許されていないのだから。
まだ職があるだけ幸せなのだと思う。なんて、あんまり実感はできないのだけれど。
実際に職がなくならなければその真の意味はわたしは理解できないのだろう。ゆるく生き過ぎだろうか。
何をどうやってやっていけば良いのかが、まだ掴めないだけなのだろうか?慣れればなんとかなるのだろうか?家で仕事することに慣れたくない気持ちもある。
メリハリがつけられない。ダラダラと行動してしまう。
人としての何かが、社会人としての何かが問われている気がする。
今まで思っていた、社会に適合できないんだよななんてそんなこと考えてたって仕方がない。
今が行動しなければいけない時なのだろう。変わらねば、淘汰されていきそうなそんな危うさも感じる。
いろいろな場面でツケがツケがと言ってきた気がするが、とてつもなく大きなツケがここで回ってきた気がする。
本当に何もできないままここまできてしまったのだと実感している。
環境に、やらされてきていたのだ。
今はその環境が、ない。
やらなければいけないことは変わらないはずなのに。
改めて、何もできない自分を突きつけられている。
本当に自分しかいない。この状況をなんとかするのも自分自身だ。踏ん張らねば。
あわよくば、なにかぽろっと意識を失わないか…流行病を拗らせて…なんて考えていたりもしなくはないが、そんなことを考えていても仕方がない。
目の前には仕事しかない。これをやるしか、ない。
わたしは仕事人間になることを強いられているんだ!
強制は嫌いだけれど、強制がなければやらないのだからそれくらいの気持ちで挑まなければ、生きながらに死ぬことになりそうで。
ただただ不安しかない毎日。吐き気を催す。
わたしが人と共有したいもの
そろそろ30歳になる。
コミュニケーションとは、価値観のぶつけ合いなのだろうか?
そろそろ30歳になる。
ずっと、友達が欲しいと思っていた。
しかし友達とはなんなのだろうか?
好きなアーティストのライブやら好きな芸能人の出演する舞台やらイベントやら一緒に出掛けては
その時の時間や感想を共有する?
それの楽しさが、よくわからなかった。
そろそろ30歳になる。
好きなもののことを考える。
他人にはどうでもいいことも、自分の中では特別なものだったりする。
それを他の人にも分かって欲しい、そういう気持ちはなんとなくわかる。
でも、分かってもらえるわけはないのだ。難しくてよくわからないけれど。
わたしの語彙力・コミュニケーション能力の問題かもしれないし、そもそも人間自体の伝える能力が高いとは思えないし、ひとつひとつ発する言葉の真意はやはり発した人間にしかわからないことの方が多い気がする。
好きなものが間違って伝わってしまう。そういうのもまた人生の、コミュニケーションの、面白いところなのだろうけれど
なんか少し悲しいので、わたしは伝えない道を選ぶ。
そろそろ30歳になる。
わたしの思う、友達とはなんだったのだろうか?
改めて考えると日常を共有する人だったのかもしれない。
誰も傷つかない、取り留めのない話。
今日は快便だとか、何が食べたいだとか、そういうほんとにどうでもよい、話した後にとくになにものこらないような、他愛のない話をグダグタとしていられる
そんな仲の人間がほしかった。それだけなのかもしれない。
ああ、書いてる間に30歳になった。
お誕生日おめでとう。