がんばれない

がんばる日記。

つめかみをやめるぞ2

なんだかんだでずーっと噛み続け、
何なら指の腹の皮まで食べ始めてしまい
しばらく指のどこかしらに出血がある状態が続いて
たまに落ち着いたかなとおもっても写真を撮る気にはなれず
それでもつめかみをやめるぞという気持ちは消えず
なんかしら更新できるようにと過ごしていた。

7ヶ月かかってようやく、たどり着いたのがこちら

改めてみるとまたとんでもねえ汚ねえ手だがほぼほぼささくれがないこの状態がほぼ7ヶ月ぶりなのである。

昨日、7ヶ月ぶりに爪にコーティング?を塗った。
なんかもうかたくなっててほとんど使えなくなってたからあたらしいのをかわなきゃならん。

ここからスタートだ。ここからいかに
ささくれを作らず
爪を噛まず
指の皮をたべず
爪を割らず
すごせるかである。

がんばる。

つめかみをやめるぞ

と思ったりして。
最近あまりにも噛みすぎて爪が、皮が、なんかすごいことになっているので
流石にこれはまずいと思っている。

やめられない止まらない。

とりあえず今の状態からどこまで良くなるのか。

我ながら気持ち悪いのでワンクッション


これが今の状態。
爪というより指先の皮膚をむしってしまう。
そのついでに爪という感じ。
爪と肉の間の皮膚を剥くときの、なんとも言えない怖さが癖になっていて、ドキドキしながらかじっている。

最近あまりにも噛みすぎてとかいいつつも、本当はずっと昔からこんな状態ではある。
あたかも、今までは普通だったのにみたいな書き方をしてしまった。

恥ずかしい。
見られても恥ずかしくない指がほしい。

気色悪くてずっと写真撮るとのとか躊躇ってたけど、どうやら変化の過程を見ることで前向きな気持ちになれる場合もあるようなので…ほんとかよ。

見たくなくても見てしまった人には申し訳ないけれど、自分だけで観察するのはなんか気持ち悪いので写真をあげておいた。

とりあえずやってみるのはハンドクリームを使いつつマッサージしてみるのと、つめにマニキュアみたいなやつぬるのと爪切りを使わないってやつ。
元々爪切りなんか使ってないんだけどね。爪、食べちゃうから。
悲しいけれど、とりあえずやっていく。

頑張れる気がしない。

ほうふ

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

選択肢を増やすと人生が豊かになる。

どこかで聞いたことあるような気もするが

実際、難しくてよく理解できないような…。

 

しかし、2022年は少しだけこういうことかもしれんとわかったような気分になれるような年だったきがする。

 

コーヒーが飲めるようになった。

ほんの些細なことだけどこれがなかなか面白くて、ドリンクバーでほとんどメロンソーダしか飲まなかったのが、コーヒーを飲もうかなっていう選択肢が増えた。

ドリンクバーで何を飲むかなんてほとんど考えたことなかったのに。

それが本当に楽しくて。豊かになるっていうのとは少し違うのかもしれないけど、とにかく楽しくて。ドリンクバーで何飲むか考えてる自分が面白おかしくて、楽しくて。ほんと。

こんな一個選択肢が増えただけでこんなに楽しくなるのか、と思った。

 

だから今年もなんでもいいから選択肢が増えるような、挑戦とは少し違うかもしれないけど何かを変えようとする行動を起こしたいなって思った。

 

これが2023年のわたしの抱負。

初作文

1月4日 仕事始めの日。
通勤電車に乗りながら書いている。

はたらきたくない。
まるで地獄へ連れて行かれるようだ。自分で電車のったはずなのに。
はたらきたくない。何もしたくない。
帰りたい。
でも今日は会議に参加した後帰ってからも、仕事だ。
帰りたくない。何もしたくない。財布を忘れた。
お昼をみんなで食べる通例の行事には、参加できなさそうなので、まっすぐ帰ってこよう。
家で仕事ができるようになってしまって、家も地獄だ。

仕事始めとは思えないほどのこの気持ち。忘れない。
でも早く切り替えないと。

ブログが書きたくなったら

書けばいいじゃない。
仕事中だけれども。

いまいち集中やら体を動かすことやらがうまくいかない日々が続く、今日このごろ。

なんとなく1,2月あたりに「今年は心の余裕を持って行動する様にするぞう」だなんて意気込んではいたはずなのだが、全然うまくいかない。

まあ、そんなことを心に少しでも思っていたことを思い出せるだけでもやってやったぜだなんて思えてしまうところもあるのだけれど。

あれがダメこれがダメが続くと、モチベーションは下がる一方で。
何に対するモチベーションかというと何か成し遂げたいことがあったわけでもないのだけれど。(そういうところもダメ)

ひたすらいつものように、今までと同じように、やらなければならないことから目を逸らして、ぼーっと過ごしてしまう日々である。

春の陽気がそうさせるのか。
初夏の日差しがそうさせるのか。

原因は風に吹かれてひらひらと
私の手には掴めないのであった。

ねむい。かえりたい。

むずかしいこと・かんたんなこと

日々、生活のいろいろなところを改善していきたいと思い続けている。

早起きを習慣づけるだとか
ご飯を3食食べることを習慣づけるだとか
家事をやるとか
8時間眠るだとか
運動を習慣づけるだとか
片付けを習慣づけるだとか

何がいいことなのか、どうすればいいのか
あの食事はダメだとか、これは体にいいとか
いつ運動するのがいいとか、こういう時の運動はダメとか
いろいろ諸説あるそういうところは置いておいて。

とりあえず「今のままじゃダメだと思っている何か」を変えたいという気持ち。これを忘れちゃダメ絶対。
どうせやるなら効率よくとか最善をとか、そういうことを先に考えるのではなく
まずは「やる」ってことを始めないといけないんだな、と身に染みて思う今日この頃。

とりあえず変えると決めたのなら、まずは変えるのだ。というのはどこかで何十回も何百回も聞いた言葉だけれども、確かにその通りだったのだ。

やったことがなかった自分には、全く理解できていなかった。わからなかった。
何度も聞いては、なるほどねそれが難しいのだよ、だなんて思ったりしていたのだけれど。
経験というのは人それぞれだし、本当に聞いた言葉がこういうことを意味していたのかというところは、正直なところよくわからないままなのだけれど。たしかに、何かを変えたいなら何かを変えることから始めないと何も始まらないのだ。

とても表現するのが難しい。

いまは、全てがキチッとできているわけではないけれど少しずつ変化を起こせている。そんな時期。
何かを始めてから少し経つと、それでは続かないということがわかったり意外にも続けられてしまったりすることがあったりして。それは自分の中に見つけられるちょっとした発見で、四葉のクローバーでも見つけたかのようなそんな大層なものでもないような素朴な(?)嬉しさもあったりなんかして。それがまた次にやることの活力になる。
ちょっとしたことなのだけれど、それで少しだけ生きているなぁと感じたりすることもあって。
今まで足りなかったのってこういうところなんだなぁと思った。

ちょっと前の自分より、ちゃんと生きている。

そういう感じ。

がんばれ。

未来は見えている

後悔する未来が。

なんとなく、ダイエットっぽい運動を一時期はしていたのだ。
諦めてはいないし、暖かくなったらまた始めようという気持ちはあるし、始められるという自信がある。
もうこの時点でお察しな感じはあるだろうけれど、そこは一旦目を瞑って。

元々、本当に痩せるかわからないし痩せなかった時にショックだろうということもあって
長く続けるためにも、あの運動が「ダイエット」であるかのように表現する事を、避けようとしていた所があったりなかったり。

どうしても私という人間は気持ちで動くらしい生き物で、動機とか目標とかそういうことをきっちりして気合いを入れてしまうと、ダメだったときの気持ちの沈み方に気が滅入ってしまう感じがある。

言い訳が好きなので、痩せなくてもなんとなくダイエットじゃないしな、くらいの気持ちで6ヶ月弱はなんとか続いてはいた風を装ってはいたのだけれど

やっぱり冬は寒い!!!

寒さには敵わない。
着替えることも、こたつから出ることも、嫌だ。
これが、いろんなことがダメだった時の気持ちを上回ってしまった。

こんなことを言っていても仕方のないことであることはわかってはいるつもりなのだけれど
きっとこのまま暖かくなって運動を再び始めるというときに、あのまま運動を続けていれば…みたいな、後悔をしないように今ここに、言い訳の言葉を残しておこうと決めたのである。

冬は仕方ない。寒さには敵わない。
蓄える時期だったのだ。

ということで、4月からの目標は、寒さに勝つ!で、いかがでしょう?

以上。